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    連歌師「牡丹花肖柏(ぼたんか しょうはく)」

    • 2008.11.07 Friday
    • 23:19
    15〜16世紀の頃、牡丹花肖柏(ぼたんか しょうはく) という連歌師がいた。「連歌を宗祗に、和歌を飛鳥井雅親に、古典を三条西実隆に学ぶ。」とあるから、ヨクワカランが、なかなかのインテリであったらしい。
    応仁の乱の戦火を逃れ、晩年は堺で過ごした。大小路在住の豪商「紅屋喜平」が現在の「三国丘」の地に草庵をたて、この文化人を住まわせた。「有名文化人のスポンサー」というか「ボランティアで難民受け入れ」というか、とにかく、経済的・精神的余裕の象徴、実業家としてのステイタスであったことだろう。


    べにやあん-1

    「かん太」です。えー私は今、三国丘にあります「紅谷庵」前におります。
    幾多の変遷を経て、現在は曹洞宗の寺となっていますが、この場所こそ、そのむかし豪商「紅屋」が「肖柏」を住まわせた「紅谷庵」であります。


    べにやあん-2

    現在は住宅街のど真ん中となっていますが、「肖柏」のころは、深緑(ふかみどり)の陵(みささぎ)近く、もえいずる若草みずみずしい、風光明媚な所であった事と思われます。

    大阪市平野区の杭全神社の境内に残る、「連歌所」の建物内部を見学させていただいたことがある。あちこちの街に、このような施設があり、一般庶民が気楽に連歌を楽しんでいた時代もあったようだ。第二次大戦の戦火にまみれ、堺の旧市街には、そのようなものは一切残っていない。


    「熊野詣で」

    • 2008.11.05 Wednesday
    • 22:58
    平安から鎌倉にかけて、京の人々の間で「熊野詣で」がブームであったらしい。京からは、船で淀川を下り、現在の大阪市中央区に上陸、そこから陸路を南下し、阿倍野・堺・鳳・篠田を経て、熊野へ向かう。街道沿い九十九か所に、「王子」と呼ばれる、熊野権現の末社が設けられた。「熊野九十九王子社」だ。
    さて、この「熊野街道」が市内のどのあたりを通過していたのか、イマイチはっきりしないが、「境王子の跡」というのが、この街にはある。


    さかいおうじ-1

    えー、現地より「かん太」がお届けいたします。私は今、熊野街道沿いに設けられた九十九王子の一つ、「境王子」跡におります。以前ご案内しました「方違神社」の北方数百m、のあたりであります。


    さかいおうじ-2

    住吉大社の東側を通る「熊野街道」を堺方面へ南下しますと、遠里小野橋の東側で、大和川により、街道はぶっちり途切れています。「熊野詣で」のころ、こんなところに大和川はなかったのですから、当然のことなんですが、そこから堺市側のルートがはっきりしないようです。おそらく、南海電車の浅香山駅から、このあたりを通過していたものと思われます。


    街道沿いの王子では、やんごとなき人々の「熊野詣で」は列を止め、しばしの休憩もしたらしいから、今でいう「サービスエリア」や「道の駅」といった機能も、果たしていたことだろう。
    堺では、「潮湯」にでもつかったかもしれない。

    「こまいぬ」と「かん太」

    • 2008.11.03 Monday
    • 15:39
    ・・・・御前なる獅子狛犬、そむきて後ざまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちやういと珍し。深き故あらむ。」と涙ぐみて、・・・(略)・・・「この御社の獅子の立てられやう、定めてならひあることにはべらむ。ちと承らばや。」といはれければ、「そのことに候。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候ことなり。」とて、さし寄りてすゑ直して往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり


    こまいぬ-1

    突然ですが、「かん太」です。
    どこのお宮さんにもあります、この四足動物の石像。
    左右一対まとめて狛犬と呼ばれることが多いのですが、このように、頭に角が無いのが「シシ(獅子)」。


    こまいぬ-2

    それからこのように、頭頂部に角が一本はえてるのが、「コマイヌ(狛犬・高麗犬)」なのだそうであります。(ホンマカイナ?)

    最近ではたいていが「石造り」で、参道の両側から内側に向かい合うように設置され、「阿形」と「吽形」に作られている事が多いようであります



    さて、冒頭の一文は、徒然草236段、よりの抜粋だ。丹波地方へやってきた、都の上人様が、彼の地の神社で見た狛犬は、なぜか「背中合わせ」に飾られていた。「これは重要ないわれがあるにちがいない。」と深読みしていたら、実は近所のワルガキの仕業で、神官の手によってさっさと元通りに向け直されて、大いにシラケタ。という話。
    多くの狛犬像が石で作られ、屋外に設置されている現代では、この話、いささかわかりにくい。大きくて重量のある石像を、ワルガキがいたずらで動かしたり、神官がヒョイと簡単に向きを変えたりすることが、できるのだろうか?その疑問をとく鍵が、ここ長曽根神社にはある。


    こまいぬ-3

    え〜。長曽根神社拝殿前より、「かん太」がお届けいたします。
    この神社、由緒沿革は詳らかではありませんが、古くから地元の氏神として信仰をあつめています。普段はこのように、拝殿の扉が閉ざされ、本殿を臨むことはできませんが、



    こまいぬ-4

    お正月などには、この扉が開放されまして、拝殿をくぐり、本殿をまじかに拝むことができます。


    こまいぬ-5

    本殿は二社、それぞれの縁側には木彫りの狛犬が一対づつ、鎮座しておりまして、台座裏の墨書より、寛政三年(1791)の作であることがわかっています。堺では、数少ない「制作年が明白な木造狛犬」ということで、大変に貴重な物なのだそうであります。

    なるほど、これなら、小さくて軽い。徒然草のころ、近所のワルガキがいたずらした狛犬は、このような物であったかもしれない。


    「蘇鉄」と「堺事件」の寺

    • 2008.10.28 Tuesday
    • 22:06
    「妙国寺」は、話題の多い寺だ。
    織田信長が持って帰った「蘇鉄の木」が、「堺へ帰りたい」と泣いたので、
    仕方なく返却してきた。・・とか、
    明治維新のころ、フランス人を震撼させた「堺事件」の舞台となった。・・とか。

    阪堺線(路面電車)の「みょうこくじまえ」電停から東へ数百m、観光客の方も、
    まれには、見かける。

    妙国寺-1

    「妙国寺」の門前より「かん太」がお届けいたします。
    この画像の後方、お寺の南側、府立高校のあるあたりが、江戸時代を通じて「堺奉行所」のあった場所であります。江戸時代には、「官庁街」の一等地であったことでしょう。


    妙国寺-2

    「うちのオトン」が高校生の頃は、境内には荒地が広がり、オフロードバイクの練習をしていた友人もいたそうですが、現在はそのような面影はなく、良く整備され、鉄筋コンクリートの本堂とモダンなデザインの仁王様が、時の流れを感じさせます。

    境内にワンコは入れませんので、寺の周辺をご案内します。


    妙国寺-3

    この石碑、「堺事件」で散った、「土佐十一烈士」の墓を案内してるんですが、どんな事件があったのか、ものすごくワカリヤスイ表現であります。

    妙国寺-4

    こちらは、街道筋によくあるオーソドックスな道標スタイルです。
    「右・そてつ」は勿論「妙国寺」のこと。
    「左・ふじ」は藤の名所、金光寺を示しているものと思われます。


    妙国寺-5

    「宝珠院」の境内には、「堺事件」で切腹した「土佐十一烈士」の墓があります。
    後方、鉄扉の内側に、箕浦隊長以下の墓石が並んでいます。


    妙国寺-6

    お寺が運営している幼稚園の入り口になってますので、見過ごされる方も多いようです。
    以上、「妙国寺」周辺より、「かん太」がおとどけしました。

    それにしても、今日はマーキングしたなるような場所ばっかりやったなあ。



    竹杖日記の堺

    • 2008.10.20 Monday
    • 06:00
    文化11年(1814)岸和田・光明寺の陳阿和尚は、友人の坂田屋とつれだって、大阪道頓堀の芝居見物にでかけた。道中の様子は「竹杖日記」と題する一書に詳しく記されている。 要所々々に狂歌をおりこみ、平易な文章で、なかなか楽しませてくれる。

    朝まだきに岸和田を出発し、紀州街道をひたすら北へ、途中、通過した堺の街について、次のように述べている。

    堺の町はいと々々長し 鍛冶のおほき所也 ほう丁てっぽう ことに名高し・・(略)・・通り筋に さくらの町 綾の町 錦の町 などいふあり
    見渡せば さくらの花の 綾錦 はるのはれ着と つづく町すじ


    あやにしき-1

    先日紹介した、文久年間の境絵図を部分拡大した。中央のやや太い通りが大道筋(紀州街道)だ。向って左が大阪方向、右が和歌山方向。この道、現在は路面電車が走る。
    画像左端、橋を渡ってすぐのところに、小さく「風間堂」の文字が見える。

    あやにしき-2

    「かん太」です。私が今歩いておりますところは、九間の町・東・大道の付近であります。陳阿和尚が記述している、綾の町 錦の町は、これより少し北へ行ったあたりです。応仁の乱の戦火を逃れ、都より移り住んだ、錦織、綾織の技術者がこの地で仕事を始めたのが町名の由来とされています。このころ、戦乱の都より、堺に逃れた、文化人等は多くあったようでありますが、そういった「難民受け入れ」の話は、また別の機会にお届けします。

    元和の町割り

    • 2008.10.17 Friday
    • 21:12
    この街は、何度も燃えている。
    大阪の陣の戦火にまみれ、中世以来の街並は消失し、徳川幕府による新たな町割りがスタートした。この時、施設された縦横の道路は、ほぼそのまま、現在まで継承されている。復興の実務に当たったのは、町割り奉行の「風間六衛門」。比較的短期間で、これだけの仕事を仕上げたそうで、行政官としては、なかなか有能な人物であったのかもしれない。
    しかしながら、町割りの過程で、ある宗派の寺院に対し優遇策を施し、他宗派からのひんしゅくを買うことになる。直訴をうけた江戸幕府より、「風間」に対し「3日以内に江戸表へ出頭するよう」命令が下る。当時、堺⇔江戸の間は、普通の移動で7日、以上かかったという。その距離を踏まえての、この命令の「意味するところ」は明白であった。



    ええ、現地より「かん太」がお届けいたします。私の今居ります所は、並松町の「風間寺」であります。街の北側の環濠(勿論現在は埋め立てられて、ただの道路)を渡って、ほんの数十mのところであります。
    出頭命令にしたがい、表面上は江戸へ向かうべく出発した「風間」は、命令の意味するところを理解し、市街を出はなれたこの地で、潔く割腹して、命果てました。その後、自害の現場には、お堂がたてられ、長らく「風間堂」として、知られていましたが、いつしか日蓮宗のお寺「風間寺」となり現在にいたっています。


    「風間」による「元和の町割り」は、縦横に道路を配置し、中央には大通りをしつらえ、現在の堺の街の基本形となっている。付け替えられた大和川により、土砂が堆積し、港としての機能維持のため四苦八苦するのは、後のことだ。


    かざま3

    上の画像は、「元和」からは、ずっと時代が下った文久年間の絵図。「元和」の町並みもほぼこんな状況であったことだろう。街の北側には、すでに付け替えられた大和川が延びている。江戸時代を通じ、幕府はこの街を、天領として直轄統治している。何某の重要性を感じさせる場所であったらしい。

    「がっかり名所」NG集

    • 2008.10.16 Thursday
    • 20:52
    色々な場所を、「かん太」に案内させてみよう、などとバカバカしい事を始めたが、今のところ結構楽しんでいる。大変に稚拙な内容にもかかわらず、継続してお読みくださる皆様方のおかげと、本当に感謝している。

    さて、撮影現場で困る事は、おちつきのない「ワルガキ」が、撮影の間ちっともじっとしていない、という事だ。
    そこでしかたなく、「多くの枚数シャッターを切り、その中から使えそうな画像を選択する。」ことになるのだが、結果、以下のような没画像がたくさん発生する。

    NG-1

    なんぼ呼ばれても、カメラの方なんか見たるかい。

    Ng-2

    ポーズなんかとるより、においを嗅ぎたいねん。

    NG-3

    こんなとこもうええ、早う、どっか行こ。

    NG-4

    オカンの傍がええ!   ・・等々。

    つい数日前の事だが、このような先輩犬「アゲちゃん」のサイトを発見した。
    http://www.eonet.ne.jp/~age/history.html
    どこかの、好奇心ばかり旺盛な「ワルガキ」とはえらいちがいで、どちらの撮影場所でも「アゲちゃん」は実に行儀よく、写真に納まっている。
    周りにたくさんの人がいる中で、リードを放しても、撮影の間じっと姿勢をくずさない、「アゲちゃん」はとてもお利口さんだ。
    「かん太」くんよ、もう少しおとなしく、じっとしてみんかね?

    「摂・河・泉」の境

    • 2008.10.11 Saturday
    • 19:46
    北米大陸には「フォーコーナーズ」という観光スポットがあるらしい。直線状の2本の州境が直角に交わり、その交点にたつと、ユタ・アリゾナ・コロラド・ニューメキシコの4州に同時に存在する事になる。という実に雄大にしてバカバカしい観光名所だそうだ。

    三国丘-1

    雄大さという点では、かなり劣るが、以前に紹介した「大小路筋」から長尾街道を東へ上がったところに、「摂津」「河内」「和泉」三つの「国」の「くにざかい」がある。「三国の辻」「三国山」などと呼ばれ、「方災除け」の神様「方違神社」が鎮座している。古来より人々は、境界線が集中する場所に何某の神秘性を感じていたようだ。
    そして、このあたり一帯「三国丘」という地名は今も残る。

    三国丘-2

    えー、「方違神社」の前より「かん太」がお届けいたします。
    こちらの神様、「方災除け」なんか言われても、何のことやら、よくわかりませんが、
    「引っ越し」やら「旅行」の時の災難を除いてくれはる神様なんやそうであります。
    最近は専門分野以外に「学業成就」「交通安全」など、手広くやっておられる
    ようであります。

    ・・・と、境内には随所に・・・


    三国丘-3

    「三国丘」とか、

    三国丘-4

    「三国山」の文字が見えます。


    話変わって、本日夕方、たんぼコースでお会いした「銀ちゃん」

    三国丘-5

    実にみごとに狛犬みたいに決まっています。

    県庁跡

    • 2008.10.07 Tuesday
    • 23:35
    第二次世界大戦の空襲により、旧市街の大半は被害を受けたが、
    北半分は戦火を免れた場所が多く、古い街並みが比較的残っている。

    その気になって探せば、

    ごぼう-1

    こんな格子戸や

    ごぼう-2

    こんな虫籠窓に出会える。

    ごぼう-3-2

    さて、どこの街へ行っても、浄土真宗の寺はでかい。
    西本願寺堺別院もその例外ではない。

    ごぼう-4

    え〜、現地より「かん太」がお届けいたします。
    私は今、西本願寺堺別院の門前に立っています。
    こちらの本堂は、木造建築物では「この街最大」の大きさを誇っておりまして、
    その昔、廃藩置県のころ設置されていた堺県の、県庁として
    用いられていた時期もありました。

    真宗寺院はその間、別の場所に引っ越していたのでありますが、
    明治14年、堺県は大阪に併合され、廃県となり、
    この場所もまたもとの真宗寺院に戻ったのだそうであります。
    もし堺県が廃県にならなかったら、このあたりは、
    合同庁舎の建ち並ぶ「大手前」みたいな景色に、
    なってしまっていたことでありましょう。


    ごぼう-5

    以上、終わり。
    ああ、喉乾いた。
    おかん、水、水。




    釣り狐

    • 2008.09.18 Thursday
    • 20:44
    狂言に「釣り狐」という演目がある。
    猟師の活躍に恐怖をいだいた狐が、猟師の伯父にあたる住職に化けて、「殺生はいかん」と説教する話だ。猟師の方は、伯父ではなく、狐が化けた住職であることに気づき、帰路を先回りして住職(実は狐)を待ち伏せ、罠を仕掛ける。さて、罠の横を通りかかった狐は、罠とは気づいたのだが、そこは「畜生のあさましさ」、仕掛けられた好物のエサを食べたくて食べたくて仕方がない。「たべてはいけない、しかしたべたいな。」自制心と欲望の間を揺れ動く狐の心中・・、まさにこの演目一番の見せ場だ。

    きつね1
    きつね2

    話変わってこれらの画像は、目の前に「おやつ」を並べられ、「待て」をくらわされている、かん太。「おやつ」と「飼い主」に交互に目をやる葛藤の様はまさに、「釣り狐」だ。

    さて、狂言「釣り狐」にゆかりの寺が、この街にはある。


    きつね3

    ええ、現地より「かん太」がお届けいたします。私は今、「少林寺」というお寺の門前に立っております。この「少林寺」、なんでも昔は大きなお寺やったそうで、数々の塔頭がたちならび、敷地内には竹やぶもあったそうであります。その塔頭の一つに白蔵主というお坊さんが住んだはりまして、寺内の竹やぶに住む狐を、たいそうかわいがっておられた。なかなか、かしこい狐で「盗難を避くる事あり」とありますから、番犬のような役目もしてたようです。この噂を聞きつけた狂言師の大蔵某が、この狐と白蔵主をモデルに書き上げたのが狂言「釣り狐」なんやそうであります。
    以上、現地よりお届けしましたあ。


    さて、こうしてできあがった、狂言「釣り狐」の初演の客席には、白蔵主にばけた、くだんの狐の姿があった。舞台を見終えると、狐はそのまま楽屋へ行き、狐役の役者に対し、狐の動作について演技指導した。という話も聞いた事がある。どっかのシバイヌよりず〜っと利口な狐だ。

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