スポンサーサイト

  • 2019.01.15 Tuesday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -
    • -

    布忍(ぬのせ)八景

    • 2009.04.24 Friday
    • 22:50
    中国の湖南省(こなんしょう)。三本の川が合流して、あの洞庭湖(どうていこ)に注ぐあたりの地名を、瀟湘(しょうしょう)という。このあたりの八箇所の景勝を、11世紀の文人画家「宋迪(そうてき)」が画題に選び、「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」と呼ばれた。
    景勝を愛でる文化は本邦にも伝わり、15世紀以後、これをまねて各地に「何々八景」が創設された。中でも、琵琶湖南岸の「近江八景」、現在の横浜市内の「金沢八景」は有名だ。漢詩・和歌に詠まれ、浮世絵版画に描かれ、15世紀以後の庶民文化の高さがうかがえる。
    さて、そんな「何々八景」のひとつが、いつもの公園近くにもある。


    え〜〜、布忍神社前より、「かん太」がお届けいたします。

    nuno-1

    そもそも、この「布忍(ぬのせ)」という地名は、日本書紀に登場する「日本武尊(やまとたける)」の娘、「布忍入姫命(ぬのしいりひめのみこと)」に由来すると言いますから、ずいぶんと古い話であります。但し、神社の創建がいつ頃であるのかは、詳らかではありません。

    nuno-2

    古くより、このあたり一帯は、「布忍八景」と呼ばれる景勝の地でありまして、江戸時代には、それらの景勝を、漢詩、俳句、回文で表現された、「八景絵馬」が、奉納されました。当時のこのあたりの、農村文化のレベルの高さを物語る、文化遺産であります。

    この「八景絵馬」、レプリカが作成されまして、神社裏の川沿い遊歩道に、設置されています。

    nuno-3

    オリジナルは、200センチ×50センチほどのけやきの板で、1枚に二景が収められ、4枚で一組でありました。

    nuno-4

    宮裏白桜、孤村夕照、野塘春日、平田秋月、
    南山残雪、西海晩望、竹林黄雀、籠池白鴎。


    nuno-5

    これら八景が、それぞれの内容を反映した、漢詩・俳句・回文などとともに描かれています。
    ふむふむ、ナルホド。なかなか趣のある内容であります。

    (ほんまに、わかっとんのかいな??)

    nuno-6

    お近くへ、お来しの節は、ぜひ一度ご覧下さい。

    nuno-7

    以上、布忍神社裏の遊歩道より、「かん太」がお届けしました。

    スポンサーサイト

    • 2019.01.15 Tuesday
    • 22:50
    • 0
      • -
      • -
      • -
      • -
      コメント
      おはようございます。

      カテゴリーが「がっかり名所」になっていたので…素通りして
      かん太君を見ていたら…
      最後に「ぜひ一度ご覧下さい」って書いてあったので、もう一度最初から読みました。
      フムフム…よ〜分かりませんが、そちらに行ったら 行く所が沢山ありそうで、日帰りは無理ですね。

      最後のかん太君、エラい足を踏ん張ってます?
      リードで吊られてるんかな?
      • 桃子
      • 2009/04/25 10:56 AM
      堺は栄えた場所やから 本当に歴史に残る建物いっぱいですね。
      私もさっぱりわからん人 八景とあるから 景色の説明やろ名なと思いながら 最初は この名前なんて読むの?何てね。
      本当に はずかしいです。
      4枚目 かん太君が読んでるように見えるのは おばちゃんのヒガミやな。
      • さっちゃん
      • 2009/04/25 3:28 PM
      <桃子さん>
      わっはっはあ。カテゴリーみて「素通り」、正解ですねえ。
      「がっかり名所」をアップすると、アクセス数は増えるんですが、
      なぜかコメントは、減るんです。しゃあないですねえ。
      好むと好まざるにかかわらず、これからも続けますので、
      よろしくね〜〜。

      サイゴのかん太、やっぱり不自然ですねえ。
      カメラに近づきたがりましたので、
      オカンが反対方向に引っ張ってます。汗。汗。


      <さっちゃん>
      すみません。「布忍(ぬのせ)」。この地名、読めませんよねえ。
      私も近所で知ってるから、読めるけど、書けません。
      書けと言われたら、布施と書きそうです。
      これだと、東大阪の「ふせ」ですよねえ。
      他にも、大阪近辺の地名で、
      放出(はなてん)
      水走(みずはい)
      枚方(ひらかた)
      柴島(くにじま)
      十三(じゅうそう)
      なかなか読めませんよねえ。

      4枚目の「かん太」。
      まさか、読んでなかったと思いますが、
      じい〜っと眺めてました。
      「オ○ッコかけたろかな」くらいのこと、考えてたと思います。
      • かん太里親
      • 2009/04/25 8:45 PM
      「布忍」ってなんて読むの?
      って思ったらしっかり ふり仮名かいてあった 
      かん太君が紹介することで
      なにか引き付けられるものが
      ありますね
      参拝客もいらっしゃるようで
      有名な神社なんですね
      • おっちゃん
      • 2009/04/25 9:05 PM
      <おっちゃん>
      えへへ、さっちゃんのコメントいただいてから、
      あわててタイトル部分にも、振り仮名打ちましたあ。
      すんませえん。

      参拝客・・3人もいてはりますねえ。
      きっちり並んで、拝んではります。ヤラセと違いますよお。
      そんなに「有名なお宮さん」ではないのですが、
      こちらの宮司さんが、なかなかのアイデアマンでして、
      ときどきオモシロイ仕掛けを、なさるようです。

      話がそれますが、そちらのご近所にも「何とか八景」ありませんか?
      こちらには、このほかにも大阪狭山市の方に「狭山八景」ってのがあるようです。
      それから「桃子さん」とこのご近所には「西大寺八景」ってのが・・・。
      • かん太里親
      • 2009/04/25 10:18 PM
      堺から布忍行きバスに乗り、父の実家へ良く行きました。狭い旧長尾街道を軒をかすめながら行くバスで布忍と聞くとバスの車酔いを
      思うほどです。 懐かしい。
      でも布忍八景は知りませんでした。
      金沢八景は地元に住んでいましたので良く知っています。
      • 吹雪
      • 2009/04/30 7:19 AM
      <吹雪様>
      このたびは、拙ブログへおでましいただき、ありがとうございます。
      ヘタクソな画像と、中途半端な文章で、綴っております。
      大変お恥ずかしい内容ですが、これからもお立ち寄りいただければ幸いです。
      又、記載内容に間違いなどございましたら、是非ともご指摘いただければありがたく存じます。

      堺から長尾街道の南海バス路線は、「布忍行き」のほか「南花田行き」「新道経由・河内松原行き」などがあったように記憶しています。「新道」とは「堺・大和高田線」のことで、当時「長尾街道」に対比して、このように呼ばれていました。片側1車線のこの道路も、今では手狭な感じとなり、南側を走る「中央環状線」と比べ、すっかり「旧道」になってしまいました。さて、「元祖旧道」の「長尾街道」ですが、ご指摘道の通り道幅狭く、今では殆どのエリアが一方通行となっています。本当に、「どうやってこの道をバスが走っていたのか?」と思うばかりです。道路の舗装状態が違うのか、車のサスペンションが違うのか、本当に最近は路線バスで「車酔い」されるかたを見かけなくなりました。そんなことすら、懐かしいですね。
      • かん太里親
      • 2009/04/30 7:28 PM
      高野線の地下道をくぐり方違神社に向かう何の変哲も無い道ですが、花田口から続く旧長尾街道です。そこで祖母は、B-29の焼夷弾に当たり亡くなりました。戦前も堺東駅には操車場があり、丁度集中攻撃を受けている折です。もう無くなりましたが傍らに大きな石があり、そこに倒れていたそうです。元和の地割の前の元の大小路は、今の花田口筋だったと考えられています。
      • 吹雪
      • 2009/05/08 9:51 PM
      <吹雪様>
      花田口の13号線沿いにカトリックの花田口幼稚園がありましたねえ。
      それから、現在の「堺市駅」は何故か「金岡駅」という名前でした。
      子供のころ、「金岡駅」と次の「三国丘駅」は名前交換してもええくらいやと思ってました。
      「大小路は、今の花田口筋だったと・・」ってことは、摂津と和泉の国境(くにざかい)も、その場所であったということで、宜しいんですか?
      • かん太里親
      • 2009/05/08 11:45 PM
      そういう事になります。大小路より北を摂州堺北之庄、南を泉州堺南之庄と記されています。 大和川の付け替え以降、北之庄も全て和泉の国に編入され、大和川が摂津、和泉の国境をなりました。
      • 吹雪
      • 2009/05/12 11:32 AM

      ってことは、
      元和の町割り以前の堺の街は、
      今の花田口あたりが、南北方向の真ん中であった。
      ということでよろしいんでしょうか?
      当時、南宗寺は今の場所には、なかったですもんねえ。

      • かん太里親
      • 2009/05/12 9:18 PM
      秀吉の命で埋められた環濠は、土居川より小さくこの花田口筋が大小路に当たります。
      真っ直ぐ上ると方違神社で三国の境となっていました。方違神社に三国が丘の碑があります。熊の古道は、あの方違神社と反正天皇陵の南を走っていました。
      • 吹雪
      • 2009/05/12 9:51 PM
      <吹雪様>
      熊の古道は、あの方違神社と反正天皇陵の南を・・・
      そうなんですかあ。山之口筋の延長にある、現在の熊野(小栗)街道とは、だいぶ違う場所なんですねえ。
      山岳部へ行く街道の起点なので、山之口っていうのかと、思ってましたあ。ははは。

      • かん太里親
      • 2009/05/13 8:58 PM
      平安時代の公家の熊野詣での記録があり、堺の町はまだ存在せず、寒村程度だったのでしょう。御陵の南を熊野へ向かってゆく記録が残っているそうです。
      • 吹雪
      • 2009/05/13 9:13 PM
      <吹雪様>
      あっ、そうか。このころは、まだ大都市ではなかったわけですよねえ。
      このあたりからも海が見えて美しいながめやったでしょうねえ。夕日が丘みたいに・・。
      • かん太里親
      • 2009/05/14 9:07 PM
      コメントする








          
      この記事のトラックバックURL
      トラックバック

      PR

      calendar

      S M T W T F S
           12
      3456789
      10111213141516
      17181920212223
      24252627282930
      31      
      << May 2020 >>

      selected entries

      categories

      archives

      recent comment

      recommend

      links

      profile

      search this site.

      others

      mobile

      qrcode

      powered

      無料ブログ作成サービス JUGEM