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    「仁徳陵古墳」と「かん太」

    • 2009.02.08 Sunday
    • 20:21
    羽曳野市の古市から、このあたり百舌鳥にかけて、古代の大王や王の墓と考えられる巨大な前方後円墳が、点在する。「古市古墳群」及び「百舌鳥古墳群」と呼ばれている。大古墳の多くは、早い時代には大和(三輪地方)を中心に築造されていたが、古墳時代中期になると、二上山を超えた河内・和泉に集中する。「崇神王朝(三輪王朝)」とは別の系統の「応神王朝(河内王朝)」が大王となったと考える人が多い。中国の「宋書」にいうところの「倭の五王(讃・珍・済・興・武)」の時代だ。中国・朝鮮半島への進出もさかんであった。

    ninntoku-1

    えー、「大仙古墳(仁徳天皇陵)」前方部にしつらえられました「拝所」の前より「かん太」がお届けいたします。現地の説明板によりますと、後円部の直径245m、前方部の幅305m、周濠を含めた南北長が、793mだそうでありまして、まさに本邦最大の前方後円墳であります。

    この古墳を中心に、北側の「反正天皇陵」、南側の「履中天皇陵」いずれも、南北方向を長軸としています。「海上から見える姿が最大となるよう築造された。」と考える方もおられるようです。
    (興味お有りの方はネット上で閲覧できる、このあたりの地図や航空写真をご参照下さい。)

    この古墳に限らず、前方後円墳の前方部に「拝所」がつくられたのは比較的新しく、明治の頃でありまして、江戸時代には、もっと身近な存在で、「墳丘部で庶民がピクニック」などということも、あったようであります。


    ninntoku-2

    えー、こちらは、墳丘を取り囲む、一番外側の「三重目」の濠であります。
    この古墳、「非常にめずらしい、三重の濠に囲まれて・・」ということになっておりますが、江戸時代の資料には、壕は二重にしか描かれておらず、この外壕は明治以後に復元されたもののようであります。


    ninntoku-3

    明治5年、前方部中腹(あの鳥居の上あたりかと思われますが)より、縦穴式石室、組み立て式石棺、甲冑などが出土しました。スケッチがとられ、現物はすぐに埋め戻されたそうでありますが、その時のスケッチに基づいたレプリカが、堺市博物館には展示されています。(興味お有りの方は、堺市博物館にてご覧ください。)

    ninntoku-4

    以上、現地より「かん太」がお届けいたしました。

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    • 20:21
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      コメント
      こんばんは
      かん太くん大変勉強になりました。

      行かずして世界三大噴墓の一つであり又世界に誇る文化遺産を解説・拝見させて頂き有難うございました。

      かん太くんもとても凛々しくご立派ですよ〜。


      • トレニア
      • 2009/02/08 11:24 PM
      仁徳天皇陵 歴史で習いましたね〜。
      苦手な歴史ですが 大阪にあると言うことだけは頭に入っております。
      • さっちゃん
      • 2009/02/09 12:00 AM
      天皇陵と聞くと、いちをもらいに向かいに有る大仙公園へ行ったことが昨日のように思い出されます、いちママが名前を呼ぶと近づいてきて手を出すとぺろっと舐めママが嬉しそうな顔をしてました、名前を呼んで近づいてきて舐めたのは初めてだとボランテアさんが驚いてました。
      • いちパパ
      • 2009/02/09 3:01 PM
      素晴らしい見所をありがとございました。

      暗記力、記憶力さっぱりの為、歴史ほとんど勉強していません。
      主人、歴史大好きです…バカにされます(泣)
      かん太リポーター、ありがとう〜♪
      出演料もらいましたか?
      • 桃子
      • 2009/02/09 4:36 PM
      <トレニアさん>
      えらい、持ち上げていただきましてありがとうございます。
      「クフ王のピラミッド」や「始皇帝陵」と比べたら、だいぶ見劣りしますよねえ。
      絶対に「現地を訪れよう」なんて考えたらあきませんよお。ゼッタイにガッカリすることマチガイナシですから・・。

      <さっちゃん>
      歴史は苦手でも国語(古文)はどうですかあ?
      「枕草子」の中に、「みささぎは うぐいすのみささぎ」というくだりがありまして、
      この「うぐいすのみささぎ」が実は「仁徳陵」のことではないか?って面白いことを考えている方がおられます。その話はまた機会があれば・・・。

      <いちパパさん>
      そうですかあ、大仙公園は、いちファミリー出会いの運命の場所でしたかあ。いち家の皆さんとは、かん太が生まれるず〜っと前から、何度か「いつもの公園」でお会いしましたねえ。花壇のところに座って、ご夫婦で、イチちゃんのブラッシングされてましたねえ。

      <桃子さん>
      はははあ。勉強は私もきらいでしたあ。
      吉備の方にも、造山古墳とか作山古墳とか、でかいのがありますねえ。
      私、まだ行った事ないんですけど。
      かん太、機嫌よかったら、タダでも、これくらいの仕事するんですけどねえ。
      この日は、トサカやらササミセンベイやらを、オカンからせしめたようです。
      ただし、下に何か落ちてるような場所では、なかなかポーズとってくれません。
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