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    あきいえ?ゆきいえ?

    • 2008.12.11 Thursday
    • 23:13
    堺の街より紀州街道を南進し、石津川を超えて、左側に「北畠顕家奮戦地」という場所がある。
    北畠顕家といえば、南北朝時代に活躍した武将で、あの神皇正統記を著わした北畠親房の長男だ。
    あきいえ-1
    戦に強い武将は、歴史上の人気者だ。「顕家」も例外ではなく、「楠正成」「新田義貞」と並んで、この時代の英雄だ。(悪役は「足利尊氏」が一手に引き受けているようだが・・・)


    話変わって、「和泉名所図会」なる江戸時代に発行された観光案内書がある。その中には、この場所について次のように記載されている。

    行家の松・・下石津の川端にあり。十郎蔵人行家は文治二年、此所にて討死するの古跡なり・・云々。

    十郎蔵人は、「(新宮十郎)源行家」のことで、頼朝・義経兄弟の叔父にあたる。おごる平氏をやっつけんと、周りの者を煽動する役柄だが、戦はからっきしヘタクソで英雄とは、程遠いキャラクターとして描かれることが多い。
    史実は「顕家」の奮戦地であるようだが、江戸時代後期の一般大衆は、なぜか「行家」の戦死場所と勘違いしていたようだ。「顕家」と「行家」では150年の時代の隔たりがあるのだが、なぜこんな勘違いが起こったのだろうか?

    その謎を解く鍵が現地にはある。

    おい、「かん太」出番やど!

    ふがふがふが・・今いそがしねん。
    そっちで、やっといて。
    ふがふがふが。


    ええ〜・・「かん太」が出ませんので、私が続けます。
    この場所には先の写真のように、立派な五輪塔と、「顕家奮戦地」の石碑、さらにその左側には「南無阿弥陀仏」と刻まれた墓石風の碑、周りは玉垣で囲まれ、その前には、
    あきいえ-2
    「顕家」の奮戦をたたえる、立派な石碑がたっています。

    これらの石造物、ひとつを除いて、比較的新しい時代に建てられたことがわかります。
    あきいえ-3
    この中で注目すべきは、この一番地味な、「南無阿弥陀仏」の石碑。
    これの裏側に回ると・・・「正徳三年(1713)」の年号とともに、こんな文字が・・・。
    あきいえ-4
    この文字、じつは「行家」ではなく「行冡(こうもう)」であるらしい。
    「行冡(こうもう)」は、「仮に埋葬する」くらいの意味で、この地に散った戦没者の霊を慰めたものだが、決して「源行家」の墓などではない。
    この文字が、先の勘違いの原因となって「行家の松」、などという俗信を生み、寛政八年(1796)発行の「名所図会」の記載となったようだ。

    ・・・ところで、こやつは・・・
    あきいえ-5
    ふがふがふが

    何やらエエモノをみつけたらしく、現地レポートどころでは無いようだ。
    ワガママな奴だ。


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    • 2019.01.15 Tuesday
    • 23:13
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      コメント
      近いところにいっぱい古いものあるんですね。歴史の好きな人にはたまらんやろね。
      私はすんなり“家”とみえました。勘違い派です。

      かん太君 何ええもんみつけたん?
      • さっちゃん
      • 2008/12/12 7:19 AM
      <さっちゃん>
      私も、そのご意見に賛成です。これは、どないに見ても「家」ですよねえ。
      正徳年間の間違いやと思います。

      私が初めて、この場所を知ったのは、もう10年くらい前のこと、以前にご紹介した「竹杖日記」の記載に沿って、「岸和田から大阪まで、歩いて見よう。」と下調べをしていた頃です。「竹杖日記」の著者「陳阿和尚」も「行家の松」として紹介しています。その知識を持って現地を訪れてみると、「行家」ではなく「顕家」をたたえる碑がたっていました。紀州街道が石津川を渡る位置で、場所は間違いないし・・・。で、そのとき「南無阿弥陀仏」の裏に発見した「行家」の文字。あらためて、周りの「顕家」に関する石碑を見ると、比較的新しい。「「行家」が正しく「顕家」は、その後の皇国史観はなやかなりし時代の、ゴリオシ付け足しか?」くらいに思ってたんです。

      それから数年、ひょんなことから、ここに書かれている文字が「行もう」である事を知る機会があり、再度訪れてシゲシゲながめてみても・・・やっぱり、これはどう見ても「行家」ですよねえ。彫り間違いやとおもいます。

      今回は、「かん太」を前に立たせるだけが目的で、訪れたんですが(ヒマなおっちゃんや!)何度おじゃましても、いつもきれいに掃除がゆきとどき、花が絶えない。
      この地で命を落とした先人達に対する、ご近所の皆さんの気持ちを感じる場所です。

      この日の「かん太」は、いったい何を見つけたんでしょうねえ?こやつにとってエエモンといえば、どうせロクなもんやないねんから、べつに見たくもありませんけどねえ。
      • かん太里親
      • 2008/12/12 8:05 PM
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